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古書往来
26.戦前の神戸の古本屋群像

「一読書人の日記」表紙
「一読書人の日記」
表紙

昨年2月、古本好き読者に好評のスムース文庫の『一読書人の日記』(林哲夫編)が出、すぐ一気に読了した。

これは、元々、阪神・淡路大震災の直後、瓦礫の中から発見されたものが古本屋に流れ、それを林氏が手に入れたものらしい。

それゆえ、著者名不詳という珍しい出版で、わずか60頁の冊子だが、中身は濃い。著者は大正3年頃の生れで、東京の大学を卒業後、父親の会社に入り京城へ赴任、戦後は神戸に住み、大阪の会社でサラリーマン生活を送ったという人の50年(昭10〜昭59)にわたる書物蒐集と読書の記録である。

神戸で育った私にはとくに身近に感じる日記だ。 相当な愛書家かつ読書家で、その蒐集分野も社会科学、文学、語学と多岐にわたり、洋書も沢山買い、かつ読んでいる。又手に入れた本を自分で製本し直したりもしている。

小説も好きで、例えば林芙美子の『私の昆虫記』『憂愁日記』などが出てくる。日夏耿之介の『黄眠文学随筆』などは面白くて15回も通読したというからすごい。
しかし、本を沢山買っても仕事で疲れてなかなか読めないという悩みも随所に記されていて、時代は違っても読書家の悩みは共通だと共感する。

さて、この日記に散見されるのが戦前の神戸の古本屋で、とくにロゴス書店、朝倉書店、彩文堂書店などでよく買っている。

私はかねてから、郷里、神戸の古本屋の歴史を知りたいと思っていたが、資料が殆んどないので、半ばあきらめていた。
今回、この日記に刺激され、わずかに兵庫県古書組合(略称)から『60年史』(昭50、非売品)が出ていたことを思い出したが、これは古本屋にとっても手離せない資料だからか、長年探しても見つからない。そこで、神戸市中央図書館に尋ねたら、幸い館蔵していると聞き、ある日の午後、神戸の大倉山まで足を運んだ。

三階が郷土資料室で、予想以上に蔵書が充実していて、神戸出身の作家や画家の本もかなり蒐めている。ただ、禁貸出で時間もあまりなかったので、今回は拾い読みしかできず、ごく一部をコピーして帰っただけである。

これはA4判の堂々たる大冊で、大正5年位からの神戸の古本屋業界史である。神戸の古本屋店主達が総力を結集して作成したのもので、『東京古書組合50年史』に匹敵するものだろう。とくに所々に挿入された愛書家や古本屋店主らの回顧談が面白く、これらから一寸紹介してみよう。

昭和初年頃から10年間、満州事変勃発の頃まで神戸では古書目録が百花繚乱と発行され、全国の古書業界から羨ましがられた程だった。その黄金時代の中心メンバーがロゴス書店、朝倉書店、白雲堂書店だったという。

ロゴスは三宮町二丁目の生田筋にあった洋書の専門店。目録も二種類出していて、古典目録の方は私の手元には昭10年9月発行の11号が確認できる。私が最近、神戸のロードス書房から入手した昭6年の9号には貴重な店の写真が載っている。神戸、大阪、東京での百貨店の販売会にもよく出品し、全国的に知られ、活躍した。

ここは戦後も中突堤筋で一時店を出し、数年後、元町通一丁目に画廊喫茶閉店の後に立派な店が突然出現したが、すぐに消えてしまった。店主は茶目っ気たっぷりの豪傑だった、と回想されている。

朝倉も三宮町一丁目、ロゴスの少し斜め向いに店があり、幅広い分野を扱っていた。昭和初め頃から目録を発行し、昭12年18号を確認できる。昭7年頃までに大阪へも店を出したようだが詳細は不明。

白雲堂は和本専門店で、初め葺合区の上筒井通り(三宮の少し東、現在のJR灘駅の山側東北に当る)にあったが、大正末期、古本屋街として盛えた上筒井商店街も、その頃近くにあった関西学院大や高商の移転、阪急電車の三宮までの延長などで凋落し、白雲堂も戦後は姫路へ移った。

彩文堂は、現在の梅田、リーチの先代広岡利一氏が元町駅を北へ上った所に店を構えていた。稀覯本や洋書など愛書家に垂涎の本を並べた趣きのある店だったようだ。ここには谷崎潤一郎もよく来店したという。

広岡氏は神戸の店は奥さんに任せ昭16年から終戦まで、阪急百貨店古書部、梅田書房にも勤務している。昭10年頃、ロゴスに店員として勤め始めた現・萬字屋書店(梅田)の小林秀雄氏は広岡氏と兄弟のような友人づきあいをした由である(『古本屋人生』大阪古書組合編による)

前述の日記と、古本屋の歴史を重ね合せれば、戦前の神戸の<読書空間>がおぼろげに浮び上ってくるだろうが、残念ながら私の手に余る作業である。

※ 今回、神戸のロードス書房と尼崎の街の草店主にいろいろ教えていただいた。お礼を申し上げます。

ロゴス書房、古典目録(昭6年9号)の表紙と店の写真
ロゴス書房、古典目録(昭6年9号)の
表紙と店の写真
朝倉書房、古書目録 表紙
朝倉書房、古書目録 表紙

(追記)京都の昨年秋の古本祭りの帰りに、吉岡書店の店先で『日本美術工芸』(昭22、8月号)を一冊買った。<随筆特輯「掘出しもの」>とあったからである。戦後すぐの雑誌にしては、なかなか用紙、印刷ともよい。あの戦前の『阪急美術』が戦後、誌名を変えて再出発したものだ。

本号は錚々たる学者や文学者、画家たちが各々”掘出し”についての蘊蓄を傾けていて、とても読みごたえがある。例えば、川田順、黒田重太郎、佐佐木信綱、棟方志功、潁原退蔵、望月信成、三宅周太郎などなど。骨董についての話が多いが、古書をめぐる話も三、四篇あるのがうれしい。「掘出し」の語源を探る潁原氏の論考にも教えられた。

その中に歴史学者、中村直勝氏の「掘り出した雨中吟」があった。これによると、昭和12年3月頃、上筒井の或る書店の10頁内外の古書目録が届き、見ると最後の方に「未来記並雨中吟」とあり、胸とどろかして売価を見た所、金3円とあった。

あまりの廉価に驚き、自宅の京都からすぐ出かけようかと思ったが、午後八時からでは到着しても十一時で、店の場所も暗くて分らないだろうと迷ったあげく、知合いの湊川神社の社務所に電話をかけ、事情を話して宿直の人に買いに行ってもらうよう頼んだ。

確認の返事がなかなかないので中村氏は翌朝早く三宮へ急行し、円タクを走らせて目ざす書店へ飛び込んだ。ところが、店の主人に「あの本はもうありませんぜ」と言われ、悲観していると、実は社務所の人が早朝やってきて本を買って帰ったが、きっと中村氏もやってくると思い、二人で一芝居打ったのだと明かされる。

その本は後西天皇が親写された宸筆本で珍本であり、中村氏到着の八時間あとにも東京の佐佐木信綱氏より電報の注文が来たという。掘出し本を手に入れるまでの経緯と緊張感が生き生きと伝わってくるドラマティックな随筆である。この上筒井の古本屋はおそらく前述の白雲堂ではなかろうか。

さて、この原稿を書いた直後に、私は二月の天神さんの古本祭りの均一コーナーで、『白雲堂古書目録』(昭16年9月、第22輯)を一冊、偶然見つけ、喜んですぐ大事に小脇に抱えた。他の人には殆んど関心ないだろうが、まるで私のために待ち受けてくれていたような小冊子だ。

100頁の堂々たる内容で、歴史、国文、和本、美術、名家自筆本などが整然と分類されている。住所は、神戸市葺合区阪口通五丁目一、発行人、古家実三、となっている。年代は4年後だが、こういう同じ目録を見て、中村直勝氏は掘出し本を見つけたのだな、としばし感慨にふけった。

なお、戦後姫路に移った白雲堂書店については全く詳細が分らないが、昨年末に出た、神戸を中心に多くの後進の古本屋に大きな影響を与えた個性的で学究肌の間島一雄書店主の『間島保夫追悼文集』によれば、三代目の古家歳雄氏が間島氏らと「正和会」を結成して昭和56年頃まで活躍されたそうだ。

本書収録の故、歳雄氏夫人・古家ふみよさんの随筆には、当時、須磨店にいた結婚前の間島氏がフィアンセを伴って姫路の店を訪れてくれ、古家氏夫妻が結婚の仲人を勤めて以来、長年家族ぐるみのつきあいをされた思い出を綴っている。

この例に限らず、本を介して会を結成した古本屋さん同士の親密なつきあいは私共には時にうらやましく感じられる。


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