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古書往来
15.出会いの場としての古本屋
― 大阪、十二段家書房のこと ―

以前、梅田古書の街の均一本フェアの折、小野十三郎の『日は過ぎ去らず』(編集工房ノア、昭和58)を手に入れた。

これは私の好きな自伝的エッセイや交流のあった詩人、文学者たちを回想した文章を一冊にまとめたものなので面白くないはずがない。

すぐ始めに出てくる「サテン文化人」で小野氏は自分の人生の歩みをその頃出入りしていた喫茶店の名前ごとに「何々時代」と呼べるといい、二十代の初めは東京本郷の「南天堂時代」、大森の「白蛾時代」、戦後すぐの大阪南の「創元時代」、次いで法善寺の「ルル時代」が来る、と書いている。

「日は過ぎ去らず」表紙
「日は過ぎ去らず」表紙

サテン文化人の面目躍如である。

ここで「創元」というのが、大谷晃一氏の『ある出版人の肖像』や本書によれば、昭和23年4月に内藤宗晴氏が始めた、御堂筋の新歌舞伎座向かいの新刊書店「創元書房」の奥にあった四坪程の細長い喫茶室で、ここに常連客として小野や安西冬衛、竹中郁、吉村正一郎、朝日の学芸記者だった沢野久雄、さらには開高健なども時折り姿を見せたという。

まさに大阪の文学者、ジャーナリストの溜り場であったが、五年程で店を閉じたらしい。

この「創元」については畏友、林哲夫氏も『喫茶店の時代』(編集工房ノア)で詳しく紹介しているので、そちらに譲ろう。

「座せる闘牛士」表紙
「座せる闘牛士」表紙

さて、本書の「楽しきかな出会い―安西冬衛」に印象深いシーンが出てくる。

小野が10年間の東京暮らしを切りあげ、29歳の折、大阪へ帰ってきたが、「ある夏の夕、難波寄りの橋筋を少し西にはいったところに、そのころあった十二段屋(文字原文のまま)書房という本屋で書棚を見ていたら、うしろから私の肩を軽くたたく者があった。」それが杖をついた背の高い安西冬衛との初めての出会いで、「小野君、安西です」と声をかけてくれたという。

安西は言うまでもなく、「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」の一行詩で名高い堺(現:大阪府堺市)在住の詩人。時まさに日本が日中戦争に突入したばかりの暗い時代だった。二人は近くの喫茶店に入り、初対面にしては話がはずんだ。

小野は、安西が会話でも「出会い」ということをよく口にし、文章でも「コレスポンデンス」(共鳴)という用語を使ったと書いており、まさにそれを地で行ったわけである。

これを読んで、「待てよ、十二段家書房というのはどこかで最近見たことがあるぞ」と、近頃とみに物忘れが激しくなった頭をひねった末に、やっと思い出した。

偶然だが、そのニ、三日前、以前古本で入手した杉山平一氏の『詩への接近』(昭和55、大阪幻想社)を拾い読みしていたら、「詩と私」という巻頭の自伝的長文エッセイの中に、次の一節があったのである。

戦中、戦後の杉山氏の若き日、様々な詩人との出会いを綴った中で、「大阪の戎橋にあった十二段家書房で竹中氏にはじめて(安西冬衛氏を ―― 筆者註)紹介された」と。

「詩への接近」表紙
「詩への接近」表紙

そういえば、竹中氏も無類の古本好きで、堀辰雄が神戸への旅の折、氏は堀と連れだって三宮元町界隈の古本屋を案内して回ったりしている(堀の短篇「旅の絵」に出てくる)。十二段家書房は初めての詩人同士が出会う格好の空間だったのである。

一方、安西も随筆集『桜の実』(昭和21、新史書房)に収めた「日記」の昭和17年9月22日の項で「三笠屋で竹中君の出版記念会。・・・(略)・・・会はて、竹中、杉山君と十二段屋(文字原文のまま)書房に寄って晩くまで話。」と記している。

この店は古書目録も出してないので、どんな店だったかよく分らない。

唯一、「スムース文庫」で最近出た『一読書人の日記』(著者不詳)中の昭和17年3月28日の記に「十二段屋(文字原文のまま)に出ていた1.ギリシャ哲学史の古版、一八、、といふ革装のふるめかしい本・・・(略)2.仏蘭西本の、陶器史二十四円も大して高くはないと思ふが。」などとあるので、洋書、稀覯本など愛書家向けの質の高い本も並べていた所かもしれない。

ところが、この古本屋の戦後の消息を知っていた詩人がもう一人いるのだ。

安西、小野、杉山氏を先輩詩人として敬愛していた大阪、十三(じゅうそう・現:大阪市淀川区)の詩人、故清水正一氏が『犬は詩人を裏切らない』(昭和47、大阪手鞠文庫)という博識を駆使した魅力的なエッセイ集の中で「この十二段屋(文字原文のまま)書房は昭20年3月の空襲で焼失。消息沓としていたが、戦後、京都・祇園花見小路で小料理屋を開業したことが、この開店準備を手伝った同じ古本商・オッサン堂の変死から分る」云々と書いている。

十二段屋書房のことをもっと知りたいものである。

ちなみに、今年の春、私が群馬の古本好きの津田氏と初めてお会いしたのも、難波、天地書房の前であった。

「犬は詩人を裏切らない」表紙
「犬は詩人を裏切らない」表紙

※ つい最近、目録で手に入れた蒐文洞・尾上政太郎の『私の古本やむかし話』(昭和61、緑の笛豆本)下巻、によると、戦前、大阪の市会のメンバーの中から、カズオ書店が中心になり、神戸の朝倉屋、蒐文洞、それに十二段家書房(西垣光温)など六人のグループが生れ、「にんじん会」と称して、明治文学書、限定本や詩歌集などの研究会を時々ひらいていたという。

十二段家は勉強熱心だったことがこれから伺われる。

(追記)不思議な偶然だが、これを書いて一ヵ月後位に、「日本古書通信」(平成16年8月号)のコラムに、八木福次郎氏が「十二段家書房」を載せられたのが目に付いた。この一文によって、十二段屋は十二段「家」が正しいこと、包装紙に芹沢けい介のデザインのものを作っていたこと、昭和23年10月9日に古本屋閉店の記念に西垣氏の自宅で蔵書整理の会が盛大に開かれたこと、今も京都の二ヶ所で「十二段家」の名で料亭を営業中のことなど知ることができた。一度食事に出かけたいものだ。


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