数多くの国内所蔵図を高精細デジタルカメラで新たに撮影、さらに米国・カナダ・オランダ各国所蔵の秀麗図も収録、
研究に役立つことはもちろん、鑑賞にも耐え得る豪華版。

注文

近世刊行大坂図集成 近世刊行大坂図集成
本書の特長

大坂図では初めての網羅的・体系的研究成果

近世刊行地図で大きな比重を占める京都・江戸・大坂の三都市図のうち、
京都および江戸には悉皆調査とその刊行があるのに比べ、大坂図だけが未だになされていなかった。
本書では、ほぼすべての主要所蔵機関について調査を行い、
現存する刊行大坂図のべ545点を考証し、
系譜をあらためて30系統182種に分類、
先行研究をふまえつつ、初めてにして新たな全体像を提示している。

 

近世大坂図

大判型で近世大坂図のダイナミズムを体感

大きいものでは長辺が180cmを超える大坂図のボリュームを伝え、なおかつ微細な記載内容を確認できるよう、見開きA2サイズの大判型を採用。大坂図の大判画像が、修正を施さず、アーカイブ用原色写真でまとめて収録されるのは本書が初となる。この大胆な試みは、現在する刊行大坂図の最新・最大の調査成果といっても過言ではなく、研究者間の情報共有を助け、ひいては近世・近代の大坂研究や地図史研究でなされる実証研究にも、大いに寄与するものとなっている。

  • 系統別・刊行年順に通し番号を振り分け、類似の地図名による混乱を防ぐとともに、図録篇と論文篇の比較参照を容易にした。
  • 版ごとに、版元・刊行年・所蔵館など基本情報を記載。
  • 全体図、部分図ともに大判サイズを収録。
  • 前後の版との違いや見どころなど、古地図の特徴を詳細に解説。
  • 「大坂画図3」は、刊行年によって「3-1」から「3-5」まで5種類ものバリエーションがあり、それぞれ合文部分などに微妙な違いがある。
  • 合文に記載された当時の大坂城代の在任期間から、その版の刊行年を推定できる。

 

 

同系統図の改版から読み取る、都市の変遷

刊行年に約60年の開きがある[貞享図1-1」と[貞享図9-2]を比較すると、後者には南側の郊外に住吉大明神が新たに描かれ、
由来についても割書きで記されている。
他にも、「御蔵屋敷」(難波御蔵)の新設とそこに至る水路や、水路以外は墨刷りされている高津新地がみえる。

  • [摂津大坂図]では、安治川河口周辺に新たに開発された新田を、紙面(附きたり)を継ぎ足して記載している。このような土地開発への合理的な対応が、一般的な長方形に限らないユニークな形の地図を数多く生み出した。

 

「論文×図解×複数の研究者」による多角的アプローチ

地図のような非文字資料は、見る者によって異なる解釈が生まれやすい。本書では、執筆者同士が可能な限り原図を囲んで議論を重ね、新たな発見の再検証、より妥当な解釈の可能性を探った。
また、図録篇では豊富な図版に基づいて詳細な地図解説を行う一方、論文篇では図録篇の内容をふまえて、名執筆者が独自の研究を報告している。異なる二つのアプローチを通して、近世刊行大坂図に対する理解を個別にも複合的にも深めることが可能となる。

 

「内容」だけにとどまらない古地図の魅力

近年の古地図研究では、折り方や判型、顔料や染料の分析など、「内容」だけではなく、「形式」や「素材」にも注目が集まっている。
本書ではとくに可視的な項目に絞り、
刊記や朱文方印、外題(表紙)、地図袋などの今まで注視されてこなかった特徴を積極的に取り上げた。
また出版元による改訂版刊行時の修正作業の痕跡や、図中に記された名所・旧跡にまつわる逸話、
地図風に描かれた風景画など、大坂図にまつわる様々な話題をコラムとして拾い上げ、
近世・近代の都市史や地図学に興味を抱く読者が、新鮮な魅力を感じられる内容となっている。

  • 折り畳まれた地図を収納する「袋」のバラエティ豊かなデザイン。
    美しいだけでなく、記載された文言や挿画から、その地図の用途や出版意図などが読み取れる。

 

 

川村 博忠

東亜大学客員教授

都市形成の歴史が読み取れる――

天保摂津国絵図を見ると大坂町は西成郡にあって、北西を南流する淀川とその分流の木津川に抱かれ、東南は東横堀と道頓堀に画されて方形を呈している。町中央を南北に通ずる西横堀からは8筋の水路が木津川へ下り、合間には「大坂町」とのみ記している。東横堀には名称を記す7つの橋が架かっている。この堀の西側に平行して引かれる太い朱筋は紀州街道であろう。国絵図ではこの程度の描写でしかなく、市街の詳細を知ることはできない。
近世の大坂市街を詳しく描いた地図は「大坂図」と呼ばれる。近世の大坂は三都と称され江戸・京都と並んで「大坂図」も多く刊行されていた。古地図に馴染んでいる私は必要があって大阪の現代地図を見るとき、東が上になるように向きを変えて眺めてみたくなる。「大坂図」は東を上にして描かれるのが一般的であったからである。そうすると大坂城の城地と武家屋敷地の下方に町屋の市街があり、安治川(淀川)や尻無川の河口が下にきて天保山が大阪湾を臨む構図となる。大坂は「八百八橋」と呼ばれたように、その街づくりは河川改修・運河開削と新地造成を平行して進めて発展してきた。
本書収蔵「大坂図」の刊行年を追って比較すれば、都市形成の歴史が読みとれるのである。

 

杉本 史子

東京大学史科編纂所教授

地図史に限定されない、待望の書――

土地空間を舞台にしたさまざまな歴史事象は、その当時の人々の空間認識を抜きにして理解することはできない。本書の刊行は、狭い意味の地図史に限定されるものではなく、都市ネットワークに立脚する近世日本の、そして、出版を媒介としたこの時代の文化を考える上でも重要な意味をもっている。
16世紀以降、地球規模での世界史がスタートし、地球の広い範囲が経済圏として互いに結び付く状況が生まれた。このグローバルな状況は、当時の人々に、狭いコミュニティを超えた共時的な空間把握、すなわち地図によって、様々なレベルの世界や地域を可視化する必要性を自覚させた。日本列島も例外ではない。この時代、日本においても、かつて地理学の泰斗・室賀信夫が呼んだように、地図は「開花の季節」を迎えた。そしてもうひとつ、この時代は、商業出版が社会に本格的に広がっていったと言う、それまでにない状況が広がった時代であった。限られた身分や人間関係内に限定されない、金銭さえ支払えば入手できる情報の流れが、社会のなかで大きな意味をもった。
 江戸・京都・大阪をはじめとする大都市では、盛んに都市図が刊行された。このうち、江戸図や京都図については、各都市図を総覧する目録が刊行されている。しかし、江戸時代、商業の中心地として日本列島内外からのヒト・モノ・情報の一大ハブであった大坂については、その豊饒な地図文化全体を見通すことのできる目録・図録の整備は必ずしも十分とはいえなかった。高精細な画像と詳細な書誌データ・的確な解説を兼ね備えた本書は、まさに、待望の書と言えよう。

 

薮田 貫

関西大学名誉教授・兵庫県立歴史博物館館長

「武家の町」大坂を知る手がかりにも――

A3サイズの地図に、上空からみた江戸時代の大坂が広がっている。北が上になったものも、東が上になったものもあるが、どちらにも○や△の合印が付いた町々が、船場を中心に東西に、あるいは南北に櫛比している。いうまでもなく「町人の街」大坂の姿である。
 一方、大坂城の周辺や中之島には、内藤大和や松平讃岐守などと武家の名前が記され、それが大坂図の実写年代を知る手がかりを提供している。わたしのいう「武家の町」大坂である。
 大坂図の刊行が、18世紀初めに、京都から大坂に重心を動かしたという解説は、京都から江戸に重心を動かすことで、須原屋・出雲寺の二大勢力を生み出した「武鑑」を想起させる。都市江戸には、武鑑の需要と供給があったが、大坂図の展開には、どのような需要と供給があったのか。
 大坂図を読み解く楽しみと同時に、その変遷を読み解く楽しみも本書にはある。

 

本書の構成・主な収録図 ※( )内は執筆者名・肩書

<論文篇>

はじめに(上杉和央・京都府立大学准教授)
総論 近世刊行大坂図の潮流(小野田一幸・神戸市立博物館学芸員)

 

[各論]
近世都市大坂の成立と変容(大澤研一・大阪歴史博物館学芸員)
近世大坂における地図刊行と大坂図の類板出入りをめぐって(小野田)
刊行大坂図の地誌情報と板元(島本多敬・京都府立大学大学院博士後期課程)
刊行大坂図にみる非人村記載をめぐって(小野田)
古図にある風景(上杉)
近代都市大阪への変貌とその特徴(吉村智博・大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員)

 

<図録篇>

[図版解説](小野田、上杉、島本、吉村の分担執筆)
町嶋之図[1655~1710年頃、3種]/明暦図[1657~1761年頃、16種]/甲子大坂図[1684~1698年頃、3種]/辰歳増補図[1688~1721年頃、7種]/大坂図鑑[1689年、1種]/貞享図[1687~1686年頃、14種]/大坂絵図[1699~1704年頃、4種]/図鑑綱目[1707~1748年頃、22種]/懐宝図[1734年頃、1種]/大坂画図[1744~1806年頃、18種]/摂州大坂図[1752~1791年頃、3種]/画図全[1761年、1種]/増補大坂図[1767~1787年頃、5種]/両面画図[1774~1791年頃、3種]/摂津大坂図[1789~1868年頃、16種]/指掌図[1793~1847年頃、7種]/増修改正図[1789~1844年頃、5種]/文政新改図[1821~1847年頃、7種]/改正懐宝図[1836~1841年頃、6種] /細便覧[1845年、1種]/大坂細見図[1845~1865年頃、8種]/万寿図[1846~1863年頃、4種]/分見大坂図[1849~1854年、2種]/国宝図[1863~1870年頃、3種]/古図[1756~1800年頃、3種]/大湊一覧[1834~1839年、3種]/河口図[1839年頃、2種]/名所図[1844~1845年頃、4種]/銅版小図[1855~江戸時代後期、5種]/近代図[1872~1887年頃、5種] 以上、30系統182種

(*収録図は一部変更になる場合があります)

 

[コラム]
手描きによる大坂三郷町絵図と板行大坂図(鳴海邦匡・甲南大学教授)/大坂城の描写(小野田)/播磨屋の修正作業(上杉)/刊行大坂図の袋から(小野田)/七不思議ノ栴檀の不思議(上杉)/五雲亭貞秀の大坂名所一覧(三好唯義・神戸市立小磯記念美術館学芸員)

 

 

[刊行大坂図書誌データ](上杉、島本)
★本書に収録した近世大坂図の所蔵先一覧★
大阪教育大学附属図書館/大阪市史編纂所/大阪城天守閣/大阪市立中央図書館/大阪大学附属図書館(適塾記念センター)/大阪大学大学院文学研究科日本史研究室/大阪府立中之島図書館/大阪歴史博物館/学習院大学史料館/カリフォルニア大学バークレー校図書館/関西大学図書館/京都大学総合博物館/京都大学附属図書館/京都大学大学院文学研究科日本史研究室/神戸市立博物館/国立公文書館/国立歴史民俗博物館/篠山市教育委員会/筑波大学附属図書館/東北大学附属図書館/名古屋市蓬左文庫/佛教大学附属図書館/ブリティッシュ・コロンビア大学図書館/三井文庫/明治大学図書館/ライデン大学図書館(五十音順)

監修者のことば

大阪大学名誉教授 脇田 修

大阪は、奈良・京都などの都に近い摂津国にあり、摂津・河内・和泉三カ国の広大な平野を背景にしている。そしてこの大阪は、東には上町台地があり、西は瀬戸内海にかけて開けた土地となっている。そして後には大和川は付け替えられて、堺付近へ流れるようになっているものの、当初は淀川・大和川という畿内二大河川の河口でもあり、瀬戸内海を控えて、各地に水路がつながっている絶好の地勢であった。そのため畿内の「廉目能所」といわれた。
 したがってこの地には原始時代から人が住みはじめ、皇都難波宮がおかれたり、中世には渡辺党の武士団が活躍した。そして現代大阪につながるのは、戦国時代の大坂本願寺の成立その寺内町から始まるといってよいだろう。泉佐野・貝塚・岸和田・堺・富田林をはじめ池田・茨木・高槻など大阪地域の諸都市は、ほぼこの時期には成立していて、それぞれ特色のある発展をしている。とくに大坂は寺内町から始まり、城下町・港町などの性格をもち、何よりも豊臣秀吉の本拠地として栄えた。もちろん大坂の陣によって城は落ち、大坂も戦火を浴びたが、徳川氏もこの都市に手厚い保護を加え、元禄期には木綿・菜種などの商品生産をおこなう周辺地域の繁栄もあって、さらに大坂は発展し、京都・江戸とならぶ三都の一つとして地位を維持した。
 この大坂については、戦前に幸田成友による『大阪市史』の編纂があり、戦後にも『新修大阪市史』や『大阪編年史』が編まれ、さらに多数の研究も出て、その歴史が明らかにされている。もちろん都市大坂の地図も刊行されて、私たちは恩恵を受けているが、とくに今回の地図集は明暦期の刊行図をはじめ、小野田一幸や上杉和央らがそれぞれの系統を検討し、詳細な解説を加えて刊行するのが特色である。したがってこれを参考にして大坂の地理を展望でき、その経年的発展を内容を深めて知りうるが、さらにここからさまざまなことを読みとることができるだろう。これを大いに利用して頂きたいと思っている。

 私は大阪市北区に生まれ、曾根崎幼稚園・小学校と過ごし、お初天神ではゴムまつりの野球をやった思い出をもっている。もっとも戦時中には心中したお初の名は禁句で、露天神と呼ばないと教師に叱られたが、この曾根崎心中の道行も地図で辿ったことがある。こうした楽しみも地図帳から読み取れるが、さらにさまざまな形でこれを利用して頂きたい。

★本書における被差別身分に関する事象の扱いについて
古地図には作製された時代の政治状況や社会状況を反映し、被差別身分に関する事象が表現されている場合があります。本書が扱う刊行大坂図のなかにも、そのような表現が見られる図が多数存在します。しかしながら、差別や偏見が歴史的に形成された経緯を解明し、正確な認識を得ることが不可欠であるとの考えに立脚し、歪曲することなくそのまま掲載しています。

 

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