21.「希望を処方する」
うとまれて じゃけんにされて なぐられて
たたかれ 踏まれ 無視されて
いびられ 捨てられ 忘れられて
避けられ いじめられ からかわれて
はずかしめられ なぶられ もてあそばれて
裏切られ あげつらわれて 馬鹿にされ
さげすまれ あなどられ おとしめられて
いとわれ おどされ いみきらわれて…
世の不幸を一身に背負っているような人がいる。これでもかこれでもかと神が試練を課すものだから、すねてゆがんでひねくれて、人にも人生にも愛想をつかして、幸せそうな人々を、いや世の中全体を恨んでもよさそうなものなのに、時にそれは自分のせいだと、信じ込む人がいる。
生まれながらのハンディと、度重なる障害と、周囲の無理解と無遠慮、隔離と差別、挙句の果てに事故や病気……大きな傷の一つならば、それは神に選ばれた聖痕(スティグマ)と、強く生きることを促すよすがにもなろうものを、聞くだに救われぬ人の度重なる不幸を、一体何を頼りに聞き続けよう……。黙って聞くのがカウンセラーの務めと、言われた教えが恨めしい。無駄を承知で一策二策、ひねり出してはみたものの、しょせん人のすることと、口にも出せずにしまいこむ。
ならばとて、お祓いをすすめてみたこともある。宗派が違うと断られた。「祖先の墓参り」と、勢い込むカウンセラーに「村八分の地元に墓はなし」。頼りの親族はもはやなく、天涯孤独でむしろ要介護の親を抱え、生き延びる算段(さんだん)さえおぼつかない。オンソラソバテイエイソワカ、マカハラミタハンニャシンギョウ……真言も般若心経も、南無妙法蓮華経も南無阿弥陀仏も無為無為無為無為……。
万策尽きてもなお、生き続けねばならないのかと問われたこともある。「はい」と言えるほどこざかしくなれもせず、「いいえ」と言えるほど卑怯者になれず、黙して語らず、黙して語れず……。ただ、歳をとって親となって子を思うようになって、その気持だけをよすがに、「逆縁は互いに辛かろう」と、小声でつぶやくのみ……。
それでもなお、よりどころは常に脚下に……床に平積みで置いてあった本の一節にふと目が行く。希望を処方する、希望を処方する……。どのようにかは分からない。誰が、いつ、どこでかは分からない。分からないけれども、希望を処方する。その言葉に、一縷(いちる)の希望を見出す。そうして、無力なカウンセラーもまた、希望を処方されたことに気づく。明日も無力、明後日も無力、それでもなお、希望を希望を希望を……。