19.古典芸能的精神分析史
本家に背いて破門され、新たな流派を作った人
あくまで本家に留まり、新たな境地を開拓した家元
風来坊で本家に留まり、いつの間にか大番頭になった人
いつまでも本家に憧れ、小さな流派を作る人
いろいろな流派をわたりあるき、とどのつまり何者でもない人
やりたいことをやって、無手勝流を気取る人
いつしか本家を離れ、自然流家元として尊敬される人
本家の後ろ盾がある間は羽振りを利かせているが、なくなると失脚する人
常に本家の主流に媚を売り、いつまでも丁稚でいる人
本家の跡取りのつもりが、いつの間にか乗っ取られる失意の人
本家の繁栄に便乗して、無関係なのに一家を作ってしまった人
本家に収まりきらない大物
本家を食いつぶすごくつぶし……
古典芸能になぞらえるまでもなく、フロイトに始まる広義の精神分析は、音楽や芸事と同様、師弟関係を基盤に展開している。対象関係論も中間派も自我心理学も分析心理学も個人心理学も自己心理学もラカン派も対人関係論も、誰もが師を持ち、あるいは師に反発したり破門されたりして自らの流派を興している。ただ、いったん出来上がると、この種の組織は驚くほど似通った発展形態をとる。膨れ上がると遠くに飛んで、そこでまた増殖し、やがて本家帰りをしてランクアップする……。これは会社組織でも宗教団体でも癌細胞でも同じなのではないだろうか。もちろん精神分析各派も然りである。
何だかそう思うと、出世するとか偉くなるとか勝ち組になるとか、どうでもいい気がしてくる。僕等は所詮、生き物としての宿命に踊らされているだけ……自らの意思のつもりで生きてきたけど、本当はDNAに刷り込まれた上記のプロセスをなぞろうとしているだけなのかも知れない。
個人として自らの力量を上げるために研鑽に努めること……いや、そういう後ろ姿を見せることが、もっとも教育的ではあるのかも知れないけれど、よりダイレクトに後進に道を譲るべく、自らは敷石捨石になること、あるいは己のできる範囲で身の回りの人々の役に立つことの方が、自分らしくて良いのではないか……。だって常に壁として若い人たちの前に立ちはだかって受け止めるなんて、考えるだけで疲れるもん……で、そういうことを考える年齢まで生き延びられたこと、そんな立場に身を置けるようになったことを、今は素直に感謝したい。