11.大事氏(おおごとし)

「何だかしんどくて……」
「生きていくのがしんどいの? それは大変!」
「息をするのも億劫(おっくう)で……」
「え、胸も苦しいの? すぐに病院で診てもらったほうがいいわ!」
「やっぱり僕なんか、生きていちゃいけないんでしょうか?」
「死にたいと思っているのね。自殺だけはしないと約束してね!」
「……」
「まあ、もう話す元気もなくなっちゃった? あなたの周りに誰かいる?」
「いえ……」
「まあ、どうしましょう! 社会資源も利用できないわ! 大変だわ!!」
  ……
「まあ、切れちゃった! ねえねえ、大変なのよ! どうしましょう!! 今すごく大変な人から電話があってね……」


何でも大ごとにしてしまう人がいる。些細な出来事に大事件の徴候を見て、いざ事が起こった暁には真っ先に事態に対処しようと、予防に全精力を注ぎ、あらかじめ対策を立て、状況の変化に一喜一憂し、あれこれ事の成り行きを慮り、挙句の果てに事の顛末(てんまつ)を周囲に喧伝(けんでん)する……。重大な出来事に冷静に対処し、まずは起こった事態に必要な最低限の処置を心がけ、あくまで受身で先走りせず、クライエントさんの後をついていく……およそカウンセリングの理念とは対極にある態度だから、よもや心理臨床の業界にこういった人がいる筈はないのだが、よく見るとそうでもない……何はさておき、人の役に立ちたい一心で、人のお世話をしようとする厄介な善人たち。しかも彼らは「ありがとう」と、感謝の言葉でご褒美を貰わないと気がすまない人たちだから、それが得られないと「大変だったね」と、今度は仲間内で労わないといけない……。

こうした大事氏を抱え込んだ職場では、大人の分別が要る。事件には必ず目に見える部分と見えない部分があること、あなたの大事は他人の小事、何はともあれ事を大きくするのではなく、収斂収束の方向に持っていくように……要するに泰然自若とした大人として、無闇に事件に振り回されないでいようということなのだが……。

国民全体が幼児化している今の日本に、大人の分別を期待するのはなかなか難しい。それでもなお、大事氏が騒ぎ立てている傍らで、仕事もしないで居眠りしている大物がいたとしたら、実はその職場は彼によって支えられているのかも知れない。家庭同様、職場もまた、親と子どもたちによって成り立っているのだ。