1.未来予想図
あの頃は、明日が来るのが怖かった
今日とは違うが何かが起こると思っていたから
きっといいことがあるよ、と、
気休めなんて聞きたくなかった
悪いことしか起こりっこなかったから
あの頃は、明日が来るのが楽しみだった
今日とは違うが何かが起こると思っていたから
きっと悪いことが起こるなんて、
不吉な予言には耳を貸さなかった
私は運が良いんだと思っていたかったから
何にも起こらないなんて夢にも思ってなかったから…
「元旦(がんたん)は冥土(めいど)の旅の一里塚(いちりづか) めでたくもあり めでたくもなし」と一休和尚(いっきゅうおしょう)は言った。去年と同様、今年も正月がやってきた。いつもの通り、去年よりは少し老けた親族が集い、去年よりは少し大きくなった子どもたちがはしゃぐ。変化と言えば、伯父が亡くなったこと。姪が彼氏とデートだと言って来なくなったこと。弟に新しい娘ができたこと……。
いつの頃からか、変化を面倒くさいと感じるようになった。使い慣れた手帳が古びてきて、買い換えねばならなくなったのが面倒くさい。お気に入りのシャツが綻んで、似た服を探さねばならなくなったのが面倒くさい。正月に初詣に出掛けて、「今年も良いことがありますように」と願わなくなった。代わりに「今年も何事もなく無事でいられますように」と手を合わせるようになった。
生きることには喜怒哀楽が付きまとう。それがまた、面倒くさい。泣いたり笑ったり、ハラハラドキドキしたりしなきゃいけない。美味しいものを食べたり、嫌な人に出会ったりしなきゃいけない。年をとると、これがまた面倒くさくていけない。
デムパ系で何度も自殺予告を送りつけてきた卒業生から、久しぶりにメールが来た。「未来に無限の可能性があったときの、何をしていいかわからない不安より、今の限られた安定した未来は、なんて素晴らしいのかと実感しております」。死語でこの感想を述べるなら、ギャフンだ……想定外の出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ。ホント、未来予想図は、想定内が心地よい。